ねらい

アジアアフリカ会議が開催された歴史的意義や背景、そして合意された「バンドン10原則」について考察する。

内容

1955年、インドネシアのバンドンにアジア・アフリカの29か国が集まり、アジア・アフリカ会議が開かれました。バンドン会議ともいいます。当時、アジアやアフリカの国々はようやく独立を果たしたものの東西冷戦の影響で、戦争に巻き込まれるかもしれない緊張感の中、中国の周恩来首相、インドのネルー首相、インドネシアのスカルノ大統領は、さまざまな思惑を持つ各国の意見をまとめ、バンドン10原則を発表。これは領土・主権の尊重、相互不可侵内政不干渉、平和共存を基調にしてあらゆる紛争を国際憲章に従って平和的に解決する事を明確に謳い、平和10原則とも呼ばれ、アジア・アフリカ諸国に反帝国主義、反植民地主義を軸とした連帯感を作りました。しかし、60年代にアフリカ諸国の独立がほぼ達成されると、反帝国主義、反植民地主義を連帯の軸とする意味が薄れてしまい、1965年にアルジェリアで開催予定の2回目の会議は中止になりました。

アジアアフリカ会議
1955年、インドネシアのバンドンにアジア・アフリカ29カ国が集まり反帝国主義、反植民地主義を唱えました。