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歌川広重~江戸時代の町人文化・浮世絵~

オープニング

オープニングタイトル

scene 01大人気シリーズ『東海道五十三次』

江戸時代の終わりごろの浮世絵(うきよえ)師、歌川広重。広重のかいた『東海道五十三次』は、人々のあいだで大人気のシリーズになりました。たとえば、箱根の急な山、ふもとに広がる芦ノ湖(あしのこ)の雄大(ゆうだい)な風景。今の絵葉書のようなもので、『東海道五十三次』は人気を集めました。広重以外にも浮世絵師がたくさんいました。役者絵や力士絵など、今で言うアイドルのポスターや、野球・サッカー選手のカードのような人気でした。そして浮世絵は、日本だけでなく海外の芸術にも大きな影響(えいきょう)をあたえました。

scene 02浮世絵は庶民の手軽な楽しみ

歌川広重は、およそ200年前に活躍(かつやく)した浮世絵師です。広重のかいた『東海道五十三次』は、江戸時代、旅好きの人々のあいだで大人気となりました。浮世絵は値段が安く、庶民(しょみん)が簡単に手に入れることができました。安くできた理由は、同じものをたくさん作ることができたからです。

scene 03浮世絵のできるまで

浮世絵のできるまでを説明しましょう。まず、浮世絵師が墨(すみ)で絵をかき、どこにどんな色を着けるか決めます。次に、彫(ほ)り師が絵を板にはり、輪郭(りんかく)だけを残して彫ります。色の部分は別の板に彫ります。緑や赤など、ぬり色ごとに板を分けます。最後に、すり師が、色ごとに分けて何度もすっていきます。ずれないようにするのが、技でした。武士や貴族のためにえがかれたそれまでの高価な絵とはちがい、浮世絵は大量に作られたため、安く売ることができたのです。

scene 04役者絵、美人画、相撲絵

では、どんな浮世絵があったのか見てみましょう。江戸時代は、平和が続き、町人たちの生活は豊かになりました。そんな町人たちの好むものが、浮世絵でえがかれました。なかでも人気の高かったのが歌舞伎(かぶき)です。役者をかいた浮世絵は飛ぶように売れました。ほかにも、美しい女性をかいた「美人画」や、庶民(しょみん)の好きな相撲(すもう)も浮世絵になりました。

scene 05ドキリ★『東海道五十三次』で人気絵師に

当時、ヒット作がなかった広重は考えます。庶民(しょみん)に何がウケるのか。そのころ人々の楽しみとして、お寺や神社にお参りする旅がはやりました。東海道の旅は特に人気でした。そこで広重は東海道の風景をかくことにしたのです。今の静岡県沼津(ぬまづ)をえがいた風景。夕暮れどき、旅を急ぐ人たちを大きな満月が見守っています。とつぜんの雨であわてて走り出す人たちがえがかれているのは、今の三重県の庄野(しょうの)の風景。旅人の様子を生き生きとえがきました。歌川広重は『東海道五十三次』で人気絵師となりました。

scene 06才能あふれる『名所江戸百景』

『東海道五十三次』で人気絵師となった広重は、『名所江戸百景』というシリーズでその地位を不動のものにします。このシリーズは、広重の芸術的才能を遺憾(いかん)なく発揮したものとして有名です。江戸の町から見た富士山。手前に大きなこいのぼりをえがき、町のおくゆきを表現しています。軒先(のきさき)にカメをつるした絵では、カメの向こう側に富士が見えます。江戸の町から見える富士の姿を、大胆(だいたん)な構図で表現しました。

scene 07ドキリ★ヨーロッパの画家にも影響をあたえた

江戸の町人のためにかいた広重の浮世絵は、海をこえ、時代をこえて、ヨーロッパの画家たちにも大きな影響(えいきょう)をあたえました。その一人が、オランダの画家ゴッホ。広重がかいた『名所江戸百景』のなかの一つを、ゴッホがそっくりにかいています。ゴッホは、広重の浮世絵の技法を学び取ろうとしたのです。そして、フランスの画家モネ。モネの名作『睡蓮(すいれん)の池』。池にかかる丸い橋は、広重の絵がモデルです。

scene 08年号ごろあわせ

1833年は、歌川広重が『東海道五十三次』をかいた年。こう覚えましょう。「いやーみなさん(1833)、旅に出よう! 『東海道五十三次』」。