あらすじ一覧

坂本龍馬~幕末の動乱(倒幕側)~

オープニング

オープニングタイトル

scene 01長州藩と薩摩藩を結びつける

坂本龍馬は、土佐藩(とさはん)、今の高知県出身の武士です。龍馬は日本で最初の商社といわれる『亀山社中(かめやましゃちゅう)』という組織をつくり、物を売り買いしていました。そのころ、長州(ちょうしゅう)藩は銃(じゅう)をほしがっていました。しかし、銃を手に入れるのはむずかしいことでした。そこで龍馬が思いついたのが、仲の悪い長州藩と薩摩(さつま)藩を結びつける方法です。

scene 02開国により高まった幕府への不満

およそ150年前、幕末の時代に生きた坂本龍馬は、新しい日本をつくるために奔走(ほんそう)しました。1853年にアメリカから黒船に乗ってやってきたペリーにより、日本は開国。国内は混乱します。外国との不平等な条約による物価の上昇(じょうしょう)などで生活は苦しくなり、幕府への不満が高まりました。そして、江戸幕府を支えようとするグループと、幕府をたおして新しい国をつくろうとするグループが争うようになります。

scene 03幕府をたおす決心

坂本龍馬は、今の高知県、土佐藩の武士の家に生まれました。龍馬も、混乱する日本をどうにかしなければと考える一人でした。故郷の土佐を出た龍馬は、江戸や京都、長崎など各地を回り、さまざまな人に出会って見聞を広めます。幕府の実力者、貿易で国を発展させようという学者…。なかでも、幕府の役人・勝海舟(かつ・かいしゅう)との出会いは龍馬に大きな影響(えいきょう)をあたえます。勝は龍馬に、西洋に負けない国づくりの必要性を説きます。このころ龍馬が書いた手紙にある『日本を一度洗濯(せんたく)して新しい国をつくる』という言葉。龍馬は、幕府をたおす決心をしたのです。

scene 04薩長同盟の立役者

龍馬が目をつけたのは、大きな力を持っていた薩摩藩と長州藩です。この二つの藩が手を組めば、幕府に対抗(たいこう)できる力になります。しかし薩摩藩と長州藩は倒幕(とうばく)をめぐって激しい対立をした過去がありました。そこで龍馬は両藩の実力者、薩摩藩の西郷隆盛と、長州藩の桂小五郎(かつら・こごろう)に、ある取引を持ちかけます。武器をほしがっていた長州には薩摩を通して外国製の鉄砲(てっぽう)をわたし、米が不足していた薩摩には長州の米をわたしました。この取引がきっかけとなって、薩長同盟(さっちょうどうめい)が成立しました。

scene 05ドキリ★薩長同盟、そして大政奉還

桂小五郎によって書かれた手紙には、薩長同盟の内容が記されています。『戦いのときは、双方(そうほう)、おたがいに協力する』とあります。薩長同盟が結ばれた翌年、ついに幕府は政権を朝廷(ちょうてい)に返します。「大政奉還(たいせいほうかん)」です。龍馬によって薩長同盟が結ばれ、幕府は朝廷に政権を返上しました。

scene 06龍馬が考えた新しい政府のあり方

坂本龍馬は、江戸幕府がたおれたあとの新しい政府のあり方を思いえがいていました。龍馬の考えをまとめた文章「新政府綱領八策(こうりょうはっさく)」には、人材を集め、議会をつくり、話し合いで政治を行うということが書いてあります。龍馬は、いろいろな人たちの考え方を取り入れ、政治を行う仕組みをつくろうとしたのです。

scene 07ドキリ★龍馬の考えが議会政治のもとに

明治政府の政治の方針を示した「五か条の御誓文(ごせいもん)」。その第一条には、広く会議を開いて話し合って決める、など龍馬の考えの影響(えいきょう)が見られます。龍馬の考えは、明治政府を支える議会政治のもとになりました。しかし、坂本龍馬は新しい時代を見ることなく、暗殺により、この世を去りました。

scene 08年号ごろあわせ

1866年は、坂本龍馬によって薩長同盟が結ばれた年。こう覚えましょう。「いやむきむき(1866)になったぞ、薩長同盟」。