あらすじ一覧

江戸時代の文化

オープニング

(オープニングテーマ)

scene 01元禄時代と文化・文政時代の文化

江戸時代、およそ260年にわたり、安定した世の中が続きました。経済的余裕が生まれ、人々は娯楽や学問に時間を割くようになります。江戸幕府が開かれてからおよそ100年経った「元禄(げんろく)」のころは、文化の中心は大坂や京都などの「上方(かみがた)」でした。江戸時代も終わりに近づいた「文化・文政」のころになると、文化の中心は江戸へと移り、庶民が楽しむものが増えていきました。長い江戸時代の中で生まれた文化には、どのような特徴があったのでしょうか。

scene 02華やかな元禄文化

五代将軍徳川綱吉のときの元禄時代。このころ、商品は遠くの町へ運ばれるようになり、特に大坂を中心とする「上方」と「江戸」のあいだでは、人や物がたくさん行き交いました。「天下の台所」といわれた大坂では、町人が力をつけ、武士などとともに元禄文化を担っていきました。俵屋宗達の『風神雷神図屏風(びょうぶ)』。尾形光琳の『八橋蒔絵螺鈿硯箱(やつはしまきえらでんすずりばこ)』。土佐光起の『源氏物語図屏風』。こうした元禄時代の作品の多くは、豪華で洗練されたものでした。

scene 03作者・近松門左衛門

江戸時代、人々は人形浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎などの芝居を楽しんでいました。そうした芝居の脚本を書き、人々の心をつかんだのが、近松門左衛門です。武士の家に生まれた近松ですが、人形浄瑠璃の一座に加わり、語り手である太夫(たゆう)のもとで修業を積みます。33歳のとき、「時代物」とよばれる芝居、『出世景清』が大ヒットします。源氏と平氏の戦いで、源頼朝に敗れた武士の物語です。近松は、自分の書いた脚本に「作者 近松門左衛門」と書きます。それまで記されることのなかった作者の名前を、初めて記したのです。

scene 04人形浄瑠璃の新しい風

近松51歳のとき、『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』という作品で、人形浄瑠璃に新しい風を吹き込みます。大坂の町で起きた、若い男女の心中事件を題材にしました。この、実際の出来事を元に書かれたものは、「世話物」とよばれました。人形浄瑠璃だけにとどまらず、歌舞伎の脚本も手がけるようになります。近松は、生涯でおよそ120の作品を世に出しました。

scene 05『ターヘル・アナトミア』の翻訳

オランダ語で書かれた医学書『ターヘル・アナトミア』。これを医者の杉田玄白、前野良沢らは日本語に翻訳し、日本の医学の発展に大きく貢献しました。杉田玄白が『ターヘル・アナトミア』と出会ったのは39歳のとき。オランダ語で書かれた本を読めなかった玄白ですが、それまで見ていた中国の医学書などとはずいぶん違うと一目でわかりました。本の内容をもっと知りたいと思った玄白は、仲間の医者たちと日本語にする作業にとりかかります。

scene 06『解体新書』と蘭学

作業を始めて3年半、苦労の末に生まれたのが『解体新書』でした。『解体新書』は、日本の医学の進歩に大きな役割を果たし、人々がオランダ語で学ぶきっかけともなりました。当時オランダのことを、「阿蘭陀」と書きました。この「蘭」の文字から、オランダ語の本から学ぶことを「蘭学(らんがく)」といいました。

scene 07化政文化の担い手は町人

1800年ごろ、江戸は繁栄の最盛期を迎えました。このころの文化を、「文化・文政時代」の名から取って「化政文化」といいます。この新しい文化を支えたのは町人たちでした。人々は遊び心にあふれた浮世絵などを楽しみました。たとえば、一見、小鳥に見える絵。その影の正体は…、人の姿でした。人々はこうした作品を買い求め、楽しんだのです。

scene 08浮世絵『東海道五十三次』

江戸の日本橋から京都へ向かう東海道。その53の宿場町を描いた浮世絵が『東海道五十三次』です。描いたのは浮世絵師、歌川広重。広重は当時のベストセラー小説『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』に注目し、登場人物の弥次さん、喜多さんが見たであろう東海道の風景を浮世絵にしました。神奈川県の箱根…、富士山の手前にそそり立つ山が湖を見下ろし、手前の街道には武士の行列が進んでいます。静岡県の大井川…、当時は橋がなく、川の中を進まなければならない難所です。広重の絵から、当時の東海道の様子を知ることができます。

scene 09版画で刷られる浮世絵

浮世絵は、それまでは「肉筆」とよばれ、一点一点手で描かれていました。江戸時代のなかば以降、版画で同じ浮世絵を何枚も作るようになります。まず絵師が墨で絵を描き、配色を決めます。彫師(ほりし)は絵の線の部分のみを残して彫ります。色をのせる部分は別の板に彫り、色ごとに版を変えます。版が完成すると摺師(すりし)が、色がずれないように刷っていきます。大量に作られるようになった浮世絵の値段は、当時、そば1杯と同じくらいでした。値段が手ごろになり、多くの人々に親しまれるようになったのです。

scene 10江戸時代の学校・寺子屋

江戸時代の寺子屋(てらこや)の様子を描いた図。子どもたちが読み書きやそろばんなどを習っています。先生は、武士や医者、僧侶(そうりょ)などの大人でした。習字の墨をする子ども、本を読む子ども、けんかをする子どもも描かれています。寺子屋は、江戸や京都から次第に全国各地へ広がっていきました。読み書きそろばんの知識は、文化の広がりを後押ししました。江戸時代の文化を支えたのは、こうした庶民の力だったのです。