あらすじ一覧

高度経済成長の光と影

オープニング

(オープニングテーマ)

scene 01戦後の経済成長と暮らしの変化

1945(昭和20)年8月、太平洋戦争が終わりました。戦争に負けた日本は、多くの都市が焼け野が原となっていました。それからおよそ10年。人々の努力によって日本はめざましい経済成長を遂げます。それに伴って人々の暮らしも大きく変わり、便利で快適になっていきました。しかし同時に、公害など新たな社会問題が生まれ、深刻化します。今日は、高度経済成長の光と影、そして経済成長を果たした日本のその後を見ていきます。

scene 02高度経済成長の始まり

1950年代半ば以降、およそ20年にわたって、日本の経済は高い伸び率で上昇し続けました。「高度経済成長」です。特に鉄鋼などの重化学工業が発展し、工場は次々と施設を拡張しました。大都市には近代的なビルが競うように建てられました。農村から、中学や高校を卒業した若者たちが、就職のために集団で大都市にやってきました。「集団就職」です。やってきた少年少女たちは、工場や商店で働きました。特に、中学を卒業して就職した人たちは「金の卵」ともてはやされ、高度経済成長を支える労働力になっていきました。

scene 03高度経済成長と消費革命

人々のライフスタイルも変わり始めました。テレビ、洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器」といわれた電化製品が家庭に急速に広まっていったのです。“レジャー”という言葉が一般化し、自動車を買い求める人も増えました。自動車が増えると、主要都市を結ぶ高速道路も開通しました。さらに、1964年に東京でオリンピックを開くことが決まると、さまざまな整備が急ピッチで進められました。上下水道、首都高速道路の建設、そして東海道新幹線の開通です。従来6時間半かかっていた東京-大阪間は4時間に短縮されました。

scene 04高度経済成長のひずみ:公害問題

高度経済成長による急速な工業化や土地の開発は、公害をはじめとした深刻な社会問題を引き起こしました。有毒な物質を含む工業廃水によって川や海が汚染される、水質汚濁。工場から上る煙や車の排気ガスによって引き起こされる、大気汚染。公害は人々の健康を脅かしていきました。海に流された工場排水の有機水銀が原因となった熊本県の「水俣(みなまた)病」、「新潟水俣病」、「イタイイタイ病」、そして、有毒な物質を含む煙による「四日市ぜんそく」は、「四大公害病」といわれます。ほかにも日本各地で公害が発生しました。

scene 05高度経済成長のひずみ:過密過疎

公害を訴える住民運動が各地で盛んになっていくなかで、1971(昭和46)年、現在の環境省に当たる環境庁が設置されます。しかし公害病患者の補償問題など、公害はその後も問題を残しました。さらに、大都市では人口が集中し、住宅難、交通難、騒音といった新たな問題が生まれました。反対に農村では人口が減り、過疎が進みました。男性の働き手が都会に出稼ぎに行った農家では、残った“じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん”が農業を行い、「三ちゃん農業」といわれました。多くの農村で活力が失われていきました。

scene 06沖縄の日本復帰

高度経済成長期には日本の国際関係も変化しました。沖縄は、「サンフランシスコ平和条約」が結ばれたあとも、アメリカの統治下に置かれたままでした。1960年代に入ると、沖縄の日本復帰を求める声が高まっていきました。1972(昭和47)年5月、27年ぶりに沖縄の日本復帰が実現しました。その日から沖縄ではお金もドルから円へと変わり、車は左側通行に変わりました。

scene 07韓国・中国との国交正常化

1965(昭和40)年、日本は「日韓基本条約」を結び、韓国との関係を正常化させました。敗戦から20年後のことでした。国交がなかった中国とは、1972年に日中共同声明を発表。日中戦争の開始から35年を経て、国交が正常化したのです。そして、1978年には「日中平和友好条約」が結ばれました。このとき、友好の証として中国からパンダが贈られました。

scene 08高度経済成長の終わり:オイルショック

戦後、長く続いた高度経済成長。この経済成長にブレーキをかけたのが、1973(昭和48)年の石油危機「オイルショック」でした。中東で起きた戦争をきっかけに、石油産出国が石油の価格を4倍に引き上げたため、日本をはじめ先進諸国の経済や社会が大きな影響を受けたのです。石油の値上がりによって物価が高騰しました。各地のスーパーマーケットには、トイレットペーパーを買い求める人々が殺到しました。また、電力を節減するために、大都市のネオンが消されました。

scene 09グローバル化する時代へ

しかし、日本の企業は、資源をあまり使わないように工夫をしたり、コンピューター、工業用ロボットを導入して生産の効率を高めるなど、努力を重ねました。そして、この石油危機から抜け出すことができたのです。こうして高度経済成長時代が終わり、経済は低成長の時代に入っていきます。経済大国、先進工業国となった日本。しかし今、世界はグローバル化が進み、政治、経済など激しい変化の中にいます。そうしたなかで日本は、今後、どのような道を歩んでいくのかが問われています。