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南アフリカには豊富な資源があるのに どうして貧困が続いているの?~アフリカ州~

scene 01アフリカ大陸南端の南アフリカ共和国

ライオンやゾウ。サバンナにすむ野生動物。世界最大のサハラ砂漠。古代エジプト文明のピラミッド…。みんなのよく知っているアフリカです。そのなかで今回取り上げるのは、アフリカ大陸南端の南アフリカ共和国。ここには鉱物資源が豊富にあります。たとえば、金、ダイヤモンド、そして携帯電話やパソコンに欠かせないレアメタル(希少金属)。鉱山開発で巨万の富を得た南アフリカ。ところがそのすぐそばで起こっている問題は、なんと貧困。多くの人が、電気も水道もないところで暮らしています。そこで今回の疑問、『南アフリカには豊富な資源があるのにどうして貧困が続いているの?』

scene 02アフリカは世界の大陸の5分の1

アフリカは、地中海をはさんでヨーロッパの南にある大きな大陸です。面積は日本のおよそ80倍。世界の大陸のおよそ5分の1の面積に、54か国が集まっています。そして、大陸のほぼ真ん中を赤道が通っています。今回は、鉱物資源の多い南アフリカ共和国で、どうして貧困が続いているのか見ていきます。まずは、南アフリカの「歴史」から考えてみましょう。

scene 03植民地支配の時代

南アフリカ中部の都市キンバリー。町の真ん中に大きな穴が開いています。“ビッグホール”とよばれるこの穴は、深さ240m、幅463m。19世紀にイギリスがダイヤモンドを採掘した跡です。どうしてイギリスが南アフリカのダイヤモンドを採掘していたのでしょう。それは、南アフリカが長いあいだイギリスの植民地支配を受けていたからです。16世紀以降、ヨーロッパの国々は資源を求めてこぞってアフリカに進出しました。20世紀初頭には、アフリカのほぼ全部が、ヨーロッパの7か国の植民地として分割されてしまいました。

scene 04今は独立しているのに…

ヨーロッパの国々は、黒人を奴隷(どれい)として売り買いしたり働かせたりしながら、勢力を拡大していきました。南アフリカも、1961年にイギリス連邦から脱退するまでのあいだ、土地や労働力、資源をイギリスに支配され続け、人々は貧しい生活を送ってきました。でも、今はもうイギリスから独立しているのに、どうして南アフリカはいまだに貧しいのでしょう。今度は、「経済」から見てみましょう。

scene 05金の生産に頼りすぎてきた

南アフリカ最大の都市ヨハネスブルク。その近郊で、みんなヘルメットをかぶって降りていくのは、なんと4000mの地下。岩にドリルを打ち込み採掘しているのは、金です。南アフリカは金の世界的な産地。金塊1個がなんと3000万円。そんな金塊を毎日たくさん生産しています。1970年ごろには全世界の金のおよそ7割を南アフリカで生産していました。ところが2005年からのほぼ10年を見ると、金の産出量はおよそ半分に減っています。採りすぎてしまったせいです。金の生産は縮小され、職を失う人々が増えました。2016年の失業率はおよそ27%。この国が金の生産と輸出に頼ってきたことも原因の一つです。

scene 06「モノカルチャー経済」の弱点

農産物を例にとると、南アフリカではさとうきびととうもろこしが飛び抜けて生産量が多くなっています。このように、特定の資源や農産物の生産に頼った経済を「モノカルチャー経済」といいます。モノカルチャー経済には弱点があります。たとえばとうもろこしは、ひとたび干ばつに見舞われると壊滅的な被害を被ります。また、国際情勢によって価格が左右されてしまいます。そんな経済の形が、南アフリカの貧困の原因の一つとなってきました。でも、南アフリカに資源がたくさんあり、いろいろなものを売れるはず。それなのにどうして貧困が続いているのでしょう。次は、「社会構造」から考えてみましょう。

scene 07今ものこるスラム街

ヨハネスブルクの住宅街のすぐ横には、「ソウェト」というスラム街があります。かつて、アフリカ系住民が強制的に移されていた居住区で、今も、川崎市と同じくらいの広さに数百万人が住んでいます。電気も水道もない劣悪な環境のなかで、学校に通えない子どもたちが道にあふれています。「仕事もない…。技術もないし、教育も受けられない。教育を変えればもっと暮らしやすい国になるんだが…。」(住民) ソウェトの人たちが教育を受けられない背景には、実はある歴史が…。

scene 08長期にわたるアパルトヘイト政策

南アフリカでは、長いあいだ「アパルトヘイト政策」と呼ばれる人種隔離政策がとられてきました。国内のわずか十数%の白人を優遇して、それ以外の人々には選挙権も与えず、住む場所も乗り物も区別するという差別的な政策です。黒人は虐げられ、差別され、教育を受けることもできなかったのです。しかし、1994年、南アフリカに初めての黒人大統領が誕生しました。「黒人も白人も胸を張って歩ける、人間の尊厳が守られる社会を築こう。我々がめざすのは平和な“虹の国”だ。」(マンデラ大統領)

scene 09黒人と黒人のあいだの貧富の格差

アパルトヘイトは撤廃され、今度は黒人が極端に優遇される政策がとられるようになりました。「黒人経済力強化政策」です。会社の経営に黒人を参加させることなどが義務付けられました。優遇政策により、かつて白人が独占していた鉱山の開発も、黒人が自ら開発するようになりました。その結果、ひとにぎりの黒人たちのあいだに“黒いダイヤ”と呼ばれる富裕層が生まれ、富を独占するようになりました。一方で、貧困の度合いは一層深まり、今度は黒人と黒人のあいだで貧富の格差を抱えるようになってしまいました。差別が撤廃されても、貧困層が教育を受けられるようにはなかなかならなかったのです。

scene 10かつての仲間が富を独占

今、南アフリカでは、黒人の優遇政策に反対するデモが頻繁に起きています。かつては白人に対して共に戦ってきた仲間が、今度は富を独占している。それに対して人々の怒りが爆発。新しくできた社会構造が、国民全体を豊かにすることにうまくつながらなかったのです。資源が豊富にあっても、南アフリカに貧困が多いということには、こんな理由がありました。いろいろな見方をすると、わかってきますね。

scene 11アフリカのほかの地域では?

アフリカのほかの国や地域ではどうなのでしょう。サハラ砂漠の南端にある「サヘル」という地域。サヘルには、ある共通した問題があり、やはり貧困に苦しんでいます。たとえば、地面にひびが入っているチャド共和国。そして、ニジェール共和国の大地も…。どんな見方をすれば貧困の理由がわかってくると思いますか。みんなで考えてみましょう。