あらすじ一覧

坊っちゃん (夏目漱石)

オープニング

(オープニングタイトル)

scene 01無鉄砲で、曲がったことが大きらい

「親ゆずりの無鉄砲で子供のときから損ばかりしている。…」。小説『坊っちゃん』の主人公は、明治時代、東京に生まれ育った江戸っ子です。無鉄砲で、曲がったことが大きらいな少年は、小学校では同級生の挑発に乗って学校の2階から飛び降りて腰をぬかし、家では台所で宙返りをしてあばら骨を折る始末。このときは母親に顔も見たくないと怒られ、親戚(しんせき)の家に預けられました。

scene 02四国松山での江戸っ子教師

大人になった「坊っちゃん」は、四国松山にひとり旅立ちます。市内にある中学校に数学教師として赴任(ふにん)することになったのです。江戸っ子教師、坊っちゃんの授業開始です。「二時間目に白墨を持って控所(ひかえじょ)を出た時には何だか敵地へ乗り込むような気がした。…」。都会育ちで、華奢(きゃしゃ)で小がらな坊っちゃん。自分よりも大きそうな生徒たち40人を前に、持ち前の負けん気で、江戸っ子らしく威勢のいい早口で授業を進めます。

scene 03生徒たちの手荒い歓迎

なめられまいと虚勢を張る坊っちゃんを、生徒たちは手荒く迎えます。当時、教師たちは交代で学校に泊り込んで見回りなどを行っていました。その宿直当番の日、坊っちゃんはふとんの中に数十匹のバッタを見つけます。生徒たちのいたずらでした。なぜバッタを床の中に入れたと腹を立てる坊っちゃんに、「バッタた何ぞな」とはぐらかすように答える生徒たち。大きな図体をしてバッタも知らんのかとバッタを見せると、「そりゃ、イナゴぞな、もし」と、生徒たちは短気な坊っちゃんをやりこめます。

scene 04文豪夏目漱石

この小説の作者は、夏目漱石。1000円札の肖像にもなった、日本を代表する文豪です。東京帝国大学で英文学を学んだ漱石は、1900年、イギリスに留学しました。その後、『吾輩は猫である』、『こころ』などの小説や評論など、数多くの作品を残しました。死後90年以上経った今も、人間の本質に鋭く迫る作品で高い人気を誇っています。

scene 05自らの経験から生まれた小説

実は、漱石自身、松山で教師をしていた経験があります。明治28年から一年間、愛媛県尋常中学校に英語教師として赴任(ふにん)しました。漱石は、その後も熊本や東京の高校、大学などで教員生活を送ります。この10年以上にわたる教師時代の経験が、小説『坊っちゃん』のもとになっているのです。『坊っちゃん』を書き上げたのは39歳のとき。漱石の作品中、最も多くの読者に愛される作品の一つです。歯切れのよい文体と、ユーモアあふれる人物描写。そして漱石独特の痛烈な批判精神が人気の秘密といわれています。

scene 06わずか1ヵ月あまりの教師生活

人を小馬鹿にしたような赤シャツを着ている教頭「赤シャツ」、たくましい面構えの同僚教師「山嵐」、調子のいい芸人のような画学教師「野だいこ」など、個性豊かな教師たちと生意気な生徒たちに囲まれて始まった坊っちゃんの教師生活でしたが、わずか1ヵ月あまりで終わりを迎えます。教頭の赤シャツと同僚の山嵐との争いに巻き込まれたのです。出世ばかりを気にして教師に責任をなすりつける。うらでこそこそする。そんな赤シャツの振る舞いに怒った山嵐と坊っちゃんは、ついに、赤シャツと赤シャツに従う教師たちに立ち向かう決意をします。

scene 07赤シャツとの対決を終えて

赤シャツたちを待ち伏せした坊っちゃんと山嵐。坊っちゃんは袂(たもと)から取り出した生玉子を野だいこの顔をめがけてたたきつけ、山嵐は赤シャツをさんざんになぐりつけました。その夜、二人は学校を辞め、松山を離れます。松山を離れていく船上で、晴れ晴れとした気分に浸る坊っちゃん。生まれ育った東京に戻り、「漸(ようや)く娑婆(しゃば)へ出たような気がした」と、やっと煩わしさから解放された自由な気分に浸ったのです。