あらすじ一覧

漢文(3)論語

オープニング

(オープニングタイトル)

scene 01 2500年前の思想

『論語』は、およそ2500年前、孔子という中国の思想家が説いた教えをまとめたものです。そこには社会や人間の本質を深く考えた言葉がつづられています。「子曰く、由、女(なんじ)に之を知るを誨(おし)へんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり」。孔子は弟子の由に、知るとはどういうことなのか教えます。自分が何を知り何を知らないのか、それをはっきりさせるのが、知るということだ。自分の知識には限界があることを自覚しなければ、本当のことは何もわからないと孔子は言います。

scene 02教育者、孔子

孔子は、紀元前6世紀に生まれました。思想家として、真心で人に接することや、正義や秩序を重んじることの大切さを説きました。その言葉を、後に弟子たちがまとめたのが『論語』です。孔子が、古くから伝わる儀式や文学などを教える塾を開いたのは、30歳のころです。孔子のもとには、豊かな見識とあたたかい人柄を慕って、多くの弟子たちが集まりました。孔子の教育の基本は、対話です。弟子一人ひとりの性格や資質を理解した上で、人生のさまざまなテーマについて、正しい道を説いていきます。

scene 03弟子自身に考えさせる対話

「子貢(しこう)問ふ、師と商とは孰(いず)れか賢れると」。弟子の子貢が、二人の兄弟弟子のどちらが優れているのか孔子に尋ねました。「子曰く、師や過ぎたり。商や及ばずと」。師はやりすぎるところがあり、商は慎重すぎると孔子は答えます。それならやりすぎのほうがよいのでしょうねと言う弟子に対する孔子の言葉。「子曰く、過ぎたるは猶ほ及ばざるが如しと」。――過剰であることは、不足していることと同じようによくないことだ。孔子は、弟子の力を見極め、本人が深く考えるきっかけとなるよう言葉を選んでいるのです。

scene 04自覚を促す対話

らざるなりと」。先生の教えはありがたいのですが、私の力が足りずついていけませんと言う弟子の冉求に対する孔子の答えです。「子曰く、力足らざる者は、中道(ちゅうどう)にして廃す。今女(なんじ)は画(かぎ)れりと」。――力が足りない者は、途中で投げ出してしまったということだ。今おまえは、自分自身を見限ったのだ。弟子の自覚をうながす強い言葉です。

scene 05戦国の世に生まれた思想

およそ2500年前の、孔子が生きた春秋時代。中国では小さな国がいくつも並び立って争い、家来が君主を討つこともある動乱の時代でした。秩序や礼儀がないがしろにされる世の中に、孔子は憤りを感じます。孔子が、彼の理想の一端を弟子たちに語った言葉があります。「子曰く、老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐(なつ)けんと」。――老人が安心し、友人は信頼し、若い人々が慕う、そんな人になりたい。孔子がめざしたのは、思いやりに満ちた人々が集う安らかな社会でした。

scene 06理想の政治を求める旅

孔子は50代で大きな決断をします。ふるさとを離れ、自分が政治家として活躍できる国を求めて旅に出たのです。「之を道(みちび)くに政を以てし、之を斉(ととの)ふるに刑を以てすれば、民免れて恥ずるなし。之を道くに徳を以てし、之を斉ふるに礼を以てすれば、恥づる有りて且つ格(いた)る」。――法律や刑罰で人民を縛ったのでは、人々は悪いことをしても恥じることがなくなる。反対に、道徳と礼儀をもって政治を行えば、人々は悪い行いを恥じ、自然によい行いをするようになる。理想の社会の実現のため、孔子は旅をし続けました。

scene 07 失意の帰郷

しかし、孔子の考えを受け入れてくれる国はありませんでした。14年後、孔子は失意のなか、ふるさとに戻ります。ふるさとの町に流れる川のほとりにたたずみ、時の流れについて語った言葉です。「子、川の上(ほとり)に在りて曰く、逝く者は斯(かく)の如きか。昼夜を舍(や)めず」。――過ぎ去っていく者はこのようなものなのか。昼となく、夜となく。

scene 08人々の心に生きている思想

ふるさとに戻った孔子は、晩年、弟子の教育と書物の編纂(へんさん)に打ち込みました。孔子の理想は実現できませんでしたが、彼の思いは『論語』という書物を通して後世に残りました。2000年以上経った今も、孔子を祀(まつ)った孔子廟(びょう)には多くの人が訪れます。社会や人間について深く考え続けた孔子の思想は、中国だけでなく東アジアの国々に広がり、人々の生きる指針であり続けています。