あらすじ一覧

文語詩「椰子の実」

scene 01島崎藤村の詩『椰子の実』

「♪名も知らぬ遠き島より 流れ寄(よ)る椰子(やし)の実一つ…♪」。みなさんは、この『椰子の実』という歌を知っていましたか?この歌は、島崎藤村(しまざきとうそん)という明治時代の作家が書いた詩に、メロディーをつけたものです。

scene 02「名も知らぬ遠き島より…」(原文)

「名も知らぬ遠き島より 流れ寄(よ)る椰子の実一つ ふるさとの岸をはなれて なれはそも波にいく月(つき) もとの樹(き)は生(お)ひやしげれる 枝(えだ)はなほ影(かげ)をやなせる われもまたなぎさをまくら ひとり身のうきねの旅ぞ 実をとりて胸(むね)にあつれば 新たなり流離(りゅうり)の憂(うれ)ひ 海の日のしづむを見れば たぎり落つ異郷(いきょう)のなみだ 思ひやる八重(やえ)の潮々(しおじお) いづれの日にか国に帰らん」。

scene 03「名も知らぬ遠き島より…」(現代語訳)

「名前も知らない遠い島から流れよってきた椰子の実が一つ。ふるさとの岸をはなれて、おまえはそもそも波に何ヶ月うかんでいたのか。実をつけていたもとの木は今も生いしげっているのだろうか。えだは今もなお、かげをつくっているのだろうか。わたしもまた、なぎさの波の音をまくらに一人さびしくふるさとから遠くはなれたところをさまよっている。この実を持ってむねにあてれば、あてもなくさまよう旅の不安がいっそうあざやかになる。海に日がしずむのを見ればはげしくあふれ落ちてくる、ふるさとを思うなみだ。椰子の実が流れてきたはるかな潮(しお)の流れを思うと、わが身の人生の遠い道のりも思いやられる。いつの日にかふるさとに帰ろう」。

scene 04舞台は伊良湖岬

島崎藤村は、今から140年ほど前の明治時代のはじめに、長野県の宿場町(しゅくばまち)、馬籠(まごめ)に生まれました。『椰子の実』は藤村が29歳(さい)のときに発表した詩集『落梅集(らくばいしゅう)』に収められています。この『椰子の実』の舞台(ぶたい)になったのは、愛知県の渥美(あつみ)半島の先にある伊良湖岬(いらごみさき)というところです。でも実は、島崎藤村は伊良湖岬に行ったことはなかったそうです。行ったこともないのに、なぜ『椰子の実』が書けたのか…? 

scene 05友人の体験から生まれた詩

実は、伊良湖岬へ行ったのは藤村の友人である民俗(みんぞく)学者の柳田国男(やなぎたくにお)でした。伊良湖岬で海岸に流れ着いた椰子の実を見つけた話は、柳田が書いた『海上の道』という本にあります。「風のやや強かった次の朝などに、椰子の実の流れ寄(よ)っていたのを、三度まで見たことがある。どの辺(あたり)の沖(おき)の小島から海にうかんだものかは今でもわからぬが、ともかくもはるかな波路(なみじ)を越(こ)えて、…こんな浜辺(はまべ)まで、渡(わた)ってきていることが私(わたくし)には大きな驚(おどろ)きであった」。東京にもどって藤村にこの話をしたことで、『椰子の実』が生まれたのです。

scene 06♪名も知らぬ遠き島より…♪

「♪名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ ふるさとの岸をはなれて なれはそも波にいく月 もとの樹は生ひやしげれる 枝はなほ影をやなせる われもまたなぎさをまくら ひとり身のうきねの旅ぞ 実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂ひ 海の日のしづむを見れば たぎり落つ異郷のなみだ 思ひやる八重の潮々 いづれの日にか国に帰らん …椰子の実一つ 椰子の実一つ♪」。