あらすじ一覧

東日本大震災 被災者に学ぶ 工場長

scene 01海のすぐ近くにある工場

濱田龍臣(はまだ・たつおみ)さんが、宮城県仙台市の海のすぐ近くにやってきました。この工場では、東日本大震災(しんさい)が起こったとき76人の従業員(じゅうぎょういん)が働いていましたが、全員無事でした。その背景(はいけい)には、津波(つなみ)から従業員たちの命を守る工場長の判断がありました。『学ぼうBOSAI 被災者(ひさいしゃ)に学ぶ』。今回の舞台(ぶたい)は、海のすぐ近くにある工場です。10mもの大津波がせまるなか、従業員と近隣(きんりん)の住民130人の命を守った工場長にお話をうかがいます。

scene 02従業員76人を避難させる

お会いしたのは、平山憲司(ひらやま・けんじ)さん。鉄を加工して柱などを作る工場の責任者です。2011年3月11日、平山さんは事務所で大きな地震におそわれました。「かつて経験したことのないゆれでした。机(つくえ)の上のパソコンや書類が下に落ちました。身を守るために机の下にかくれました」(平山さん)。その日、工場で働いていた従業員(じゅうぎょういん)は76人。大津波警報(けいほう)が発令されましたが、近くに高い建物はありません。平山さんはどこに従業員を避難(ひなん)させたのでしょうか。

scene 03敷地内の築山へ避難完了!

平山さんが避難(ひなん)場所として選んだのは、工場の敷地(しきち)内にある“築山(つきやま)”とよばれる人工の山でした。海抜(かいばつ)10m。工場を建設したとき、まわりへの騒音(そうおん)を防ぐ目的でつくられた山です。工場では日ごろから築山への避難訓練を行っていました。実際に地震があると、小さなゆれでも生産を一時ストップさせて全員が避難していました。その訓練が生かされました。地震からわずか15分後には、76人全員の避難を完了させたのです。「地震イコール津波(つなみ)だと訓練で体が覚えていたので、すみやかな行動につながったと思います」。

scene 04「今動くのは危険」と判断

しかし、築山への避難(ひなん)が完了して30分が過ぎても、津波(つなみ)が来る気配はありません。そのため、家族を心配する社員のなかから「家に帰りたい」と言う声があがりはじめました。それでも平山さんは帰宅(きたく)を許しませんでした。平山さんの強い意志を支えたのは、地震直後から東京本社とつなぎ続けていた携帯(けいたい)電話で受け取る大津波の情報でした。「釜石(かまいし)市に津波が来たと情報が入り、ここにも来ると考えました。より安全な場所に短時間でにげられる場所はほかに思い当たらない。今動いたらあぶないと判断して、『ここにいてくれ』と指示を出しました」。

scene 05工場近くの道は車で大渋滞

そのとき、築山の目の前の道路は避難(ひなん)する人々の車で大渋滞(じゅうたい)となっていました。それに気づいた平山さんは、このままだと車の中の人たちはにげおくれてしまうと考えました。「『こっちへおいで!』とよんだら、気がついた人は来てくれました」(平山さん)。なかには足腰(こし)の悪いお年寄りや小さな子どももいました。従業員(じゅうぎょういん)は築山の入り口にある高さ2mほどのフェンスの前で、人々をかかえて、フェンスをよじ登る手助けをしました。最終的に54人の住民が道路から築山ににげこみました。

scene 06やがて大津波が

それからまもなく、大津波(つなみ)が工場をおそいました。津波は130人が避難(ひなん)した築山を飲みこむ勢いでせまってきたといいます。「ゴーという不気味な音。家をこわし、車を回転させながら、真っ黒い津波がせまってくる。生きるか死ぬかの気持ちになって、津波が築山をこえていくんじゃないかという不安がずっとありました」(平山さん)。幸い、築山の上まで津波が達することはありませんでした。そして築山に生いしげっていた木々は、がれきの侵入(しんにゅう)を防いでくれました。

scene 07孤立した築山(つきやま)での一夜

間一髪(かんいっぱつ)のところで助かった130人でしたが、まわりは水没(すいぼつ)して築山に取り残されてしまいました。雪もふり始めました。平山さんたちは築山に落ちていた木の枝を集めて火をたき、寒さをしのぎました。130人全員があたたまれるように、10か所ほどでたき火をして、火事にならないように見張りをつけて火をたき続けました。130人は一晩(ひとばん)のあいだ寒さをしのぎ、翌朝(よくあさ)、捜索(そうさく)に来た自衛隊に無事救出されました。

scene 08敷地内に建てられた“津波避難タワー”

大津波(つなみ)から一年後。2012年4月に工場の生産が再開されました。この工場では操業を再開したあとすぐに、あるものを作りました。工場の敷地(しきち)内に“津波避難(ひなん)タワー”を建てたのです。「地面から11m、海抜(かいばつ)16mです」(平山さん)。築山より6m高く、およそ200人が避難できます。東日本大震災での教訓から、タワーの屋上には太陽光発電機も取り付けました。これで、災害のときでも電源(でんげん)を確保できます。さらに、200人が2日間過ごせる食料や水を完備。防災ラジオや衛星電話も備え、外部との連絡(れんらく)や情報を得ることもできます。

scene 09日ごろの避難訓練の大切さ

その後、この避難(ひなん)タワーは仙台市の津波(つなみ)避難施設(しせつ)に指定されました。平山さんは、これまで従業員(じゅうぎょういん)だけで行ってきた避難訓練を、住民とともに行っていきたいと考えています。「地域(ちいき)の人たちと一体となって、防災や減災に向けて活動することが必要だと思います。地震が来たら津波が来る、いち早く高いところににげるという日ごろの避難訓練を、いかに真剣(しんけん)にやるかが大切だと思います」(平山さん)。

scene 10そのとき自分はどう行動したら…

…「今回、平山さんのお話を聞いて、災害は、ぼくたちが日中多くの時間をすごす、職場や学校などで起こる可能性が高いことを知りました。そのときに、自分がどのように行動したらいいのか、考えてみたいと思いました」(濱田さん)。